千歳、千代田の特徴

千歳と千代田は第一状態が水上機母艦で、戦時には空母に急速改造できるように設計されていたが、水上機母艦とは別の任務も帯びていた。それは開戦時には敵港湾付近まで肉薄して、甲標的を出撃させる母艦としても機能するように設計された。さらに、場合によっては高速給油艦にもなれる欲張った設計をしたため、構造が複雑になり成功した艦とは言えなかった。
千歳が竣工した昭和13年7月はすでにロンドン条約は失効し無条約状態になっていたので、当初予定していた20knの速力を29knに引き上げた。水上機母艦としては、4基のカタパルトを持ち、水偵を24機搭載でき、甲標的を搭載するときは、水偵は12機に半減した。千歳の同型艦である千代田も昭和13年12月に完成したが、開戦しても甲標的を使用する局面は起きず、千歳は偵察任務に、千代田は甲標的の母艦としての訓練を行った後甲標的をトラック島へ輸送した。そこに、ミッドウェイ海戦の手痛い敗北があり、ただちに2隻の空母改造が決定された。
千歳と千代田はもともと船体が小さかったので、飛行甲板は180m×23mという瑞鳳、祥鳳と同じ大きさのフラッシュデッキ・タイプとされた。搭載機数は千歳、千代田のほうが若干多いが使い勝手は瑞鳳、祥鳳のほうに分がある。両艦は特に目立った活躍もなくフィリピン沖海戦の囮部隊の一員として、1機の飛行機も持たず出撃し、ハルゼー機動部隊の吸引に成功したものの撃沈されてしまった。
日本軍は補給を余り重視せず最前線の兵士のみが戦闘を行って雌雄を決するという誤った考えを持っていたため、南方からの物資輸送を護衛する護衛空母、最前線に内地で生産された飛行機を輸送する輸送空母というものに見向きもしなかった。千歳と千代田は艦隊型空母としては落第だったが、護衛空母や輸送空母として生きる道はあったはずである。
千歳、千代田の改装
千歳は昭和18年8月に、千代田は昭和18年10月に空母へ改造されたので、大きな改装はない。
千歳、千代田のスペック
諸元 | 千歳 | 千代田 |
---|---|---|
基準排水量(英トン) | 11,190 | 11,190 |
公試排水量(メートルトン) | 13,600 | 13,600 |
水線長(m) | 185.93 | 185.93 |
最大幅(m) | 20.8 | 20.8 |
飛行甲板(長さ×幅、m) | 180.0×23.0 | 180.0×23.0 |
出力(馬力) | 56,800 | 56,800 |
速力(kn) | 29.0 | 29.0 |
航続距離(kn-海浬) | 18-11,810 | 18-11,810 |
備砲 | 12.7cm連高×4、25mm3連×10 | 12.7cm連高×4、25mm3連×10 |
搭載機数 | 30+0 | 30+0 |
昇降機数 | 3 | 3 |
沈没 | 19.10.25/エンガノ岬沖/航空機 | 19.10.25/レイテ沖/海戦 |