蒼龍、飛龍の特徴

ロンドン条約下の厳しい条件の中、鳳翔の旧式化と龍驤の失敗により、赤城、加賀と同一行動が取れ、攻撃機や爆撃機をたくさん搭載できる空母が必要となった。艦齢16年になる鳳翔を廃棄し、制限枠の残りと合計すれば1万50トンの空母を2隻建造することができた。これが蒼龍と飛龍である。
軍令部はまたも次のような建造不可能な案を艦政本部に要求した。- 基準排水量===10,050トン
- 速力===36kn
- 主砲===20cm砲×5門
- 高角砲===12.7cm×10門
- 機銃===40門以上
- 搭載機===100機
- 航続距離===18knで10,000海浬
この案は「蒼龍原案」と呼ばれたが、素人目にも実現不可能な机上の空論であることは明らかである。航空機の開発でもそうだが、軍の首脳部は艦艇や航空機の設計者に無理を言った方が良いアイデアが出るものだという考えを持つものが多く、技術者に無用の圧力をかけるととなり、中途半端な艦や航空機ができることが頻繁に起こった。あまりシバリをかけずに自由に設計をさせたものの中に傑作が生まれていたように思う。
設計陣もこれは不可能と判断し、代案として主砲は15.5cm3連装×1、連装×1、高角砲は16門、搭載機数は70機という数字だったが、これとて1万トンの船体には無理があり、トップヘヴィとなって復原力に大いに問題があった。軍令部はこの代案を了承し設計が進められていたときに「友鶴事件」が起きてしまった。全海軍艦艇の見直しが行われた結果、大半の艦艇に復原性に問題があり、特に新鋭艦が顕著だった。当然設計中の蒼龍にも見直しが迫られた。
軍令部が再度提出した案は驚くほど現実的なもので、何より主砲を全廃することとなっており画期的な考え方を示した。当時の空母は敵巡洋艦と遭遇したときのことを考えて、巡洋艦に対抗できる20cm砲を搭載していたが、主砲全廃は空母の戦術的使用方法の転換が軍令部内部であったのではないだろうか。
- 搭載機数===常用51機、補用17機合計68機
- 機関出力===152,000馬力
- 速力===35kn
- 航続力===18knで7,800海浬
- 高角砲===12.7cm連装砲6基12門
蒼龍は徹底的に重量軽減策をとったので防御力は極度に弱く、せいぜい駆逐艦の主砲に対抗できるくらいだった。それでも基準排水量は15,900トンと予定をはるかにオーバーしていた。竣工した昭和12年12月にはすでにロンドン条約を破棄していたので重量超過は問題にならなかったが、極度の軽量化や復原性に問題が残り、続いて建造する飛龍の設計に大きく影響することとなった。
蒼龍の問題点を改善した改蒼龍としての飛龍は、大きさは蒼龍とほぼ同じだが再設計といって良いほど全く別の艦となった。改善された主な箇所は、加賀の実績から飛行甲板はできるだけ広くするのが望ましいとの結論から、蒼龍の甲板幅26mに1mプラスした27mにし、飛行甲板の長さは216.9mとした。さらに、蒼龍の艦橋は右舷に設置されていたが、飛龍では赤城と同じ左舷に配置された。しかし、煙突と艦橋を左右に配置した場合、両方の気流が絡み合って艦尾に複雑な気流を起こすことが分かるのは赤城が完成してからで、飛龍の建造には活かされなかった。そして、懸案だった船体強度に関しては、蒼龍で軽量化のために電気溶接を多用したが、飛龍では確実なリベット打ちに変更している。
蒼龍と飛龍は中型空母として成功した艦となり、これ以後の空母建造の基本となった。蒼龍、飛龍を土台にして拡大改良版の翔鶴、瑞鶴が生まれ、雲龍型の雲龍、天城、葛城は飛龍の基本線図を流用して設計された。
蒼龍、飛龍の改装
蒼龍は昭和12年12月、飛龍は昭和14年7月に完成し、ともに昭和17年6月のミッドウェイ海戦で沈没しているので大きな改装はない。
蒼龍、飛龍のスペック
諸元 | 蒼龍 | 飛龍 |
---|---|---|
基準排水量(英トン) | 15,900 | 17,300 |
公試排水量(メートルトン) | 18,800 | 20,165 |
水線長(m) | 222.00 | 222.00 |
最大幅(m) | 21.30 | 22.32 |
飛行甲板(長さ×幅、m) | 216.9×26.0 | 216.9×27.0 |
出力(馬力) | 152,000 | 153,000 |
速力(kn) | 34.5 | 34.59 |
航続距離(kn-海浬) | 18-7,680 | 18-7,670 |
備砲 | 12.7cm連高×6、25mm連×14 | 12.7cm連高×6、25mm3連×7、連×5 |
搭載機数 | 57+16 | 57+16 |
昇降機数 | 3 | 3 |
沈没 | 17.6.5/ミッドウェイ沖/航空機 | 17.6.6/ミッドウェイ沖/航空機 |