潜水艦とは

日本海軍における潜水艦の位置づけは、艦隊決戦の補助艦艇に過ぎなかった。インド洋方面など一部を除いて潜水艦は潜水艦隊によって運用され、ドイツ海軍やアメリカ海軍が行った通商破壊作戦に潜水艦が多用されることはなかった。太平洋における艦隊決戦はアメリカ太平洋艦隊を西太平洋で迎え撃つというのが基本にあった。つまり、積極的にアメリカ太平洋艦隊の基地であるハワイに出向いて艦隊決戦を行うつもりはなかった。緒戦のハワイ真珠湾攻撃は、航空機というまさに飛び道具を使ったアウトレンジ戦法である奇襲攻撃で、艦隊決戦ではなかった。アメリカ太平洋艦隊が西進してくる間に、艦隊としての潜水艦部隊は敵艦隊に肉薄して雷撃し、すこしでも敵の護衛艦、あわよくば戦艦に手傷を負わせるのが役目であった。

こうした潜水艦としては異色の任務を達成するために、日本海軍の潜水艦は独特の発達をしていく。敵の情勢を監視しつつ、敵出撃においては味方艦隊に報告し、機を見て攻撃を仕掛ける。こうした長期に渡って行動でき、なおかつ決戦場で主力艦隊に随伴するには高速で航行できる潜水艦が必要である。

ところが、実際には戦艦を中心とした艦隊決戦は生起しなかった。機動部隊といわれる空母を中心とした航空兵力での相手艦隊の撃滅作戦が主流となってしまい、潜水艦は空母中心の作戦支援へと使用される場面が多くなった。戦艦を中心とした大艦隊なら攻撃のしようもあるが、空母を中心とした機動部隊はその名の通り高速で動き回る艦隊であるため、固定した哨戒線での捕捉はほとんど奇跡に近い。しかも、空母には艦載機が搭載され、潜水艦の一番の天敵が上空を哨戒しているのでうかつに肉薄できない。こうした間違った用法で日本海軍の潜水艦作戦は見るべき戦果を挙げていない。

潜水艦の種類

日本海軍潜水艦は水上排水量で大分類できる。すなわち、水上排水量1,000トン以上のものは一等潜水艦、500トン以上1,000トン未満を二等潜水艦、500トン未満を三等潜水艦とした。ただし、昭和6年(1931年)に三等潜水艦が廃止されたので、それ以後に建造された水上排水量500トン未満の潜水艦でも二等潜水艦に分類される。また、一等潜水艦はイ(伊)型、二等潜水艦はロ(呂)型、三等潜水艦はハ(波)型と呼ばれ、その後ろにアラビア数字の艦名がつけられる。

艦種艦型記事代表艦(同型艦数)
一等潜水艦機雷潜ドイツ・ゲルマニア型伊21(8)
巡潜1型ドイツ・ゲルマニア型の巡潜型伊1(5)
2型1型の改良型伊6(1)
3型旗艦用、甲乙丙型の母体伊7(2)
甲型旗艦用、水偵搭載型伊9(4)
甲型改攻撃機(晴嵐)搭載型伊13(2)
乙型艦隊兼巡潜、水偵搭載型伊15(29)
丙型艦隊兼巡潜、水偵なし伊52(11)
丁型輸送用伊361(12)
丁型改輸送用伊373(1)
海大1型艦隊型試作艦伊51(1)
2型艦隊型試作艦伊52(1)
3型a艦隊型伊53(4)
3型b伊56(5)
4型伊61(3)
5型伊65(3)
6型a伊68(6)
6型a伊74(2)
7型伊176(10)
潜特攻撃機(晴嵐)搭載伊400(3)
潜高水中高速艦伊201(3)
潜補飛行艇補給用伊351(1)
二等潜水艦1型ヴィッカース社L型のライセンス生産呂51(2)
2型ヴィッカース社L型のライセンス生産呂53(4)
3型ヴィッカース社L型のライセンス生産呂57(3)
4型ヴィッカース社L型のライセンス生産呂60(9)
海中1型海軍中型呂11(2)
2型呂13(3)
3型呂16(10)
4型呂26(3)
特中型12cm砲装備型呂29(4)
5型戦時急造艦のプロトタイプ呂33(2)
中型艦隊用中型艦呂35(18)
小型南方基地防御用呂100(18)
潜輸小小型輸送艦波101(10)
潜高小小型水中高速艦波201(10)
試作艦仮称71号艦水中高速試作軍機艦(1)

明治・大正期に輸入されたり、建造された艦で大東亜戦争開戦前に廃艦となったものは記載していない。また、上記以外にドイツから譲渡された一等潜水艦(伊501~伊506)6隻と二等潜水艦(呂500、呂501)2隻は省略した。

小型潜行艇と水中特攻兵器

日本海軍は敵港湾に肉薄して母艦より出撃し、雷撃を行うことができる小型の潜行艇を開発し実戦にも投入したが、有効な兵器とはなり得なかった。攻撃終了後は母艦が収容することになっていたが、ほとんど生還の見込みがない必死攻撃となった。

小型潜行艇と似通ってはいるが、最初から必死攻撃の兵器である水中特攻兵器も開発された。しかし、確認されている戦果は3隻撃沈、5隻大小破にとどまっている。

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