飛鷹、隼鷹の特徴

飛鷹

軍縮条約下で特務艦を空母に改造することを前提に建造したほか、商船や貨物船を空母に改造できるよう建造することを各国は考えた。日本海軍は優秀船舶建造助成をすることにし、それによって建造されたのが出雲丸と橿原丸であり、のちの飛鷹と隼鷹である。

日本政府は昭和12年に優秀船舶建造助成を行うことを決め、総トン数6,000トン以上、速力19kn以上の客船、貨物船、油槽船の建造に助成金を交付することになり、翌13年には、1万トンを超える大型優秀船舶建造助成を決定した。おりから、日本では昭和15年に開かれる東京オリンピックの前景気で賑わっていて、外国から来る大勢の観光客目当てに、日本郵船は総トン数2万7千トン、速力24knの出雲丸と橿原丸を計画した。助成金の額で日本郵船と政府は少々もめたが、政府が建造費の6割を負担することで折り合いが付き、さらに海軍は多くの主機、補機類の経費を安くしたり、造船所に対しても建造費を安くさせる交渉をしたり、やっとの思いで建造にこぎ着けた。

一応商船として建造するのだから過剰なスペックはあまりにもあからさまである。したがって、総トン数28,950トン、満載排水量31,915トン、出力45,000馬力で保証速力(経済速力)24kn、最大出力56,550馬力で最大速力25.5knで設計された。両艦の工事が進められていたとき、昭和15年になってアメリカは大型空母3隻の建造を決め、さらに空母を建造する計画を打ち出した。そこで、日本海軍は対抗上、空母の頭数を揃えるために新造中の空母適格商船の買い上げを行い、急遽空母に改造することになった。船台上にあった出雲丸と橿原丸はちょうど上甲板まで工事が進捗していたので、そのまま空母への改造工事へ切り替えられた。そして、出雲丸は飛鷹と、橿原丸は隼鷹と改名した。

飛鷹、隼鷹の艦橋と煙突は一体化され、大鳳や信濃と同様に煙突は外側へ26度傾斜が付けられた。格納庫は2層で各4区画あり、格納庫の舷側側に通路と乗員の居住区が設けられた。搭載機は戦闘機21機、爆撃機18機、攻撃機9機の合計48機で補用機5機を加えると蒼龍、飛龍に匹敵する大きさである。ただ、もともとは商船なので防御らしいものはほとんどなく、速力も遅いのが弱点だった。

飛鷹、隼鷹の改装

飛鷹、隼鷹の大きな改装はない。

飛鷹、隼鷹のスペック

諸元飛鷹隼鷹
基準排水量(英トン)24,14024,140
公試排水量(メートルトン)27,50027,500
水線長(m)215.3215.3
最大幅(m)26.726.7
飛行甲板(長さ×幅、m)210.3×27.3210.3×27.3
出力(馬力)56,25056,250
速力(kn)25.525.5
航続距離(kn-海浬)18-10,00018-10,000
備砲12.7cm連高×6、25mm3連×812.7cm連高×6、25mm3連×8
搭載機数48+548+5
昇降機数22
沈没19.6.20/マリアナ沖/航空機~21.8.1/解体処分

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