利根型の特徴

筑摩

利根型はそもそも最上型の5,6番艦として計画された巡洋艦である。軍令部が最初に要求した性能も基準排水量8,500トン、速力36ノット、航続距離18ノットで1万海浬、その他は最上型と同一というものだった。

利根は昭和9年12月に、筑摩は昭和10年10月にそれぞれ起工されたが、建造中に友鶴事件や第四艦隊事件が起き、国際情勢特に日米関係は険悪なものとなり、もし事あらば広い太平洋が戦場となることは十分予想された。そこで、太平洋を西進してくるアメリカ海軍艦艇を迎え撃つ日本海軍は、潜水艦で漸次敵戦力を削いでおいて艦隊決戦に持ち込む戦術を考えた。それには敵の行動を把握して潜水艦部隊に情報を流す役割の巡洋艦を装備することが望ましい。巡洋艦の本来の目的に立ち返った結果、利根と筑摩の設計を大幅に変更しなければならなくなった。

軍令部の再度の案は、航続距離を18ノット1万海浬から8千海浬へ減らし、主砲も2門減らして20.3cm連装砲4基とするかわりに水偵を6機搭載するというものであった。この要求に従って設計し直され、後部は飛行甲板とし、前部に主砲塔4基を集めるという日本海軍では初めての艦容となった。主砲塔を前部に集中させるレイアウトは、海外では1927年(昭和2年)竣工のイギリス海軍ネルソン型戦艦、1937年に完成したフランス戦艦ダンケルクがあった。主砲塔を前部集中形式にすると、弾火薬庫を前後に分ける必要がなく集中防御しやすくなり、主砲を斉射した際の散布界も小さくなって命中率が高まる利点がある。さらに、主砲を斉射しても後部の甲板までは爆風は届かないので攻撃の制約がないことが挙げられる。短所としては、重たい主砲塔が前部に集中することによる重量配分の難しさがある。

利根型の大成功には、友鶴事件や第四艦隊事件の復原性能および強度不足等の諸問題が一応の解決を見ていたことと、ロンドン条約が失効して小さい船体に過大な兵装の要求で無理な設計をしなくて済んだことが大きな要因であろう。

利根型の改装

利根は昭和13年11月、筑摩は昭和14年5月に竣工したため、開戦当初から主な海戦にほとんど出撃している。完成度の高い重巡だったこともあって、大きな改装は行われていない。

利根型のスペック

諸元利根筑摩
竣工時竣工時
基準排水量
英トン
8,5008,500
公試排水量
メートルトン
13,32013,320
全長m198.30198.30
最大幅m19.2119.21
馬力152,000152,000
速力kn35.035.0
備砲主砲20.3×820.3×8
高角砲12.7×812.7×8
発射管1212
航空機、カタパルト水偵×5、カタパルト×2水偵×5、カタパルト×2
沈没20.7.29
呉(着底)
航空機
19.10.25
サマール島沖
航空機

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