大淀型の特徴

大淀型は第四次補充計画で、阿賀野型4隻とともに建造を認められた潜水戦隊旗艦用の軽巡だが、同型艦として計画された仁淀は結局建造されなかった。
潜水戦隊旗艦の役目は広大な太平洋においてアメリカ艦隊を探し、味方潜水艦に情報を流してやることである。それには、強力な策敵能力として航空機を多数搭載できること、また、その航空兵力を十二分に活用できるだけの航続力があること、そして、味方潜水艦への通信能力が大であることが、必須条件である。軍令部が提示した大淀の要求性能は次の通りである。
- 基準排水量===5,000トン
- 速力===36kn
- 航続力===18knで10,000海浬
- 兵装===12.7cm高角砲8門、25mm機銃18門
- 航空機===長距離高速水上偵察機6~8機
- 対潜兵装===水中聴音器、水中信号機
この要求で注目されるのは、主砲と魚雷発射管を搭載しないということである。ある意味革新的な要求ではあったが、はたして軍務局からクレームがきた。高角砲だけでは敵駆逐艦に遭遇しても撃破できないし、巡洋艦相手に魚雷も使えないのでは全くのお手上げだというのである。そこで提案されたのが、最上型から下ろした15.5cm3連装砲を流用すれば、高角砲としても使用できる両用砲なので申し分ない、というものである。発射管は後部に設置されている航空機格納庫は削れないために装備は無理と判断された。その後も、艦の性格からして利根型のような航空巡洋艦的性格があるので、それならいっそ航空巡洋艦として設計したほうがよいのでは?そうすると航空巡洋艦にしては防御面が弱すぎる、などさまざまな意見が出て会議は紛糾したという。しかし、結局当初の計画通り、水偵を搭載する潜水戦隊旗艦として建造が決まった。
大淀の主砲は前述の通りだが、高角砲は新式の長10cm高角砲を搭載することになった。この高角砲は昭和12年から開発が始められ、昭和13年(皇紀2598年)に正式採用となったもので、65口径九八式10cm高角砲と命名され、通称長10cm高角砲と呼ばれる。本砲は、最大射程18,700m、最大射高13,300m、発射速度毎分19発という性能だった。この長10cm高角砲は、大淀の他、空母大鳳、防空駆逐艦秋月型に採用されている。
大淀の一番のセールスポイントは、高速でしかも長大な後続性能を有する水上偵察機を6機搭載する策敵能力であった。搭載を予定していた水上偵察機は川西航空機が開発していた「紫雲」である。紫雲は高速を得るために離水後は翼端フロート上半分(ズック製)の空気を抜いたうえで内側へ引き込み、空気抵抗を減らす工夫がなされたり、敵戦闘機に追撃されたときは主フロートを切り離して離脱できるように設計された。しかし、翼端フロートの機構やトルク対策としての二重反転プロペラの機構に問題が発生し、開発は難航した。それでも増加試作機6機が実用試験を兼ねて実戦配備されたが、敵戦闘機に全機喰われてしまい、当初の性能がすでに一線級でないことであると判明して量産機を2機制作した時点で生産は打ち切られた。大淀はこの紫雲を発艦させるのに、船体後部に44.5mという長大なカタパルトを1機装備して、4分間隔で6機全機を射出できる予定だった。
大淀の改装
大淀が完成したときには、当初考えられていた大淀の働き場所は既になくなっていた。そこで不本意ながら大きな格納庫を持ち、35knの高速を出せることから、南方基地への補給輸送に従事していた。そんなときに、降って湧いたような連合艦隊旗艦への改装話である。今までのように戦艦へ連合艦隊司令部を置いて移動しながら指揮を執るということが事実上不可能となってきたので、作戦司令部を陸上に移すか、本国の泊地に固定した艦で指揮を執るしか解決策はなかった。最強の戦闘艦である戦艦を第一線で使わず、後方に置いておくのはどうみても不合理であるとの意見から、最新の通信設備を完備している大淀に白羽の矢が立ったのである。
大淀の改装は、格納庫に司令部施設ならびに司令部要員の住居の設置、および船尾カタパルトの撤去、対空装備の拡充が行われた。
大淀型のスペック
諸元 | 大淀 | |
---|---|---|
竣工時 | ||
基準排水量 英トン | 8,164 | |
公試排水量 メートルトン | 9,980 | |
全長m | 189.0 | |
最大幅m | 16.6 | |
馬力 | 110,000 | |
速力kn | 35.0 | |
備砲 | 主砲 | 15.5×6 |
高角砲 | 10×8 | |
発射管 | - | |
航空機、カタパルト | 水偵×6 カタパルト×1 | |
沈没 | 20.7.28 呉(転覆) 航空機 |