最上型の特徴

最上

ロンドン条約で保有が認められた重巡枠を使い切った日本海軍はアメリカ海軍との差を埋めるべく、重巡の船体に軽巡の規格である6.1インチ(15.5cm)砲を搭載した最上型を計画した。重巡と軽巡の違いは基準排水量の大きさではなく、同じ1万トン以下で主砲の大きさが区分の要素となっていたため、軽巡規格いっぱいの6.1インチ砲を竣工時は搭載し、いざ戦時となれば20.3cm(8インチ)砲へ換装すればアメリカの重巡保有予定数数18隻に肉薄できると考えた。

新造時における最上型の外観上特徴は3連装15.5cm砲塔である。この砲塔は最上型のために開発されたもので、三年式60口径15.5cm砲と呼ばれている。最大仰角55度、俯角10度、最大射程27,400m、最大高度12,000m、発射速度毎分5発、初速は920m/sという性能である。前部砲塔群は従来のピラミッド型配置をやめ、1,2番砲塔をならべて3番砲塔を背負式にした。これにより前方各30度以内の攻撃力が増し、後方射界も向上している。この15.5cm砲は命中率も高く優秀な砲だったので、後に20.3cm砲へ換装するときに砲術者から惜しむ声が高かったという。撤去された15.5cm砲は大和型戦艦の副砲に転用されている。

昭和10年7月に1番艦の最上が完成したが、後に重巡へ変身するのでさまざまな要求を詰め込みすぎた設計となっていたため、復元性能や極度の軽量化による強度不足の問題が浮上してきた。はたして公試運転中に推進機付近の外板やビーム、後部重油タンクの周囲などに亀裂が生じ、艦首の外板は凸凹になり、船体の歪みによって3番砲塔が旋回不能になる事態となった。この結果を受けて船体各部の補強や復元力増加のために小型バルジの外側に大型バルジを装着するなどの処置が講じられた。同様の工事を三隈にも施し、両艦は第四艦隊に配備され、三陸沖での演習に臨んだ。そこで起こったのが「第四艦隊事件」である。演習中大型台風に遭遇した最上は艦首部が激しく振動し、前部砲塔付近から異常な音を発した。演習後調べてみると、艦首外板に公試運転時より大きなシワが発生しているのが発見された。またも船体強度不足が指摘され、電気溶接部を鋲打ちにするなど徹底的な補強工事が行われ、遅れて起工した鈴谷と熊野にこれらの教訓が活かされた。

最上型の改装

ロンドン条約失効後、昭和14年に4艦とも主砲を20.3cmに換装している。最上を除く3艦はこの主砲換装が大きな改装で、最上だけ航空巡洋艦への改装が実施された。

最上の改装概要

ハワイ奇襲攻撃、ミッドウェイ海戦などで巡洋艦搭載の水上偵察機が活躍したことを受けて、ミッドウェイ沖で三隈に衝突して艦首を圧壊した最上を航空巡洋艦に改装することが決定された。

後部にある4,5番砲塔を撤去し、最上甲板をその高さのまま延長して艦尾まで伸ばしてこれを飛行甲板とした。ここに水上偵察機11機を露天搭載し、飛行機運搬用のレールとターンテーブルを用いてカタパルトまで偵察機を運び、2基のカタパルトで射出するしくみとなっていた。偵察機が帰投したときはデリックを用いて引き上げ、収納する。

航空巡洋艦の改装ととに防空巡洋艦としての能力も最上に対して与えられた。従来設置してあった25mm連装機銃と13mm連装機銃を撤去し、新たに25mm3連装機銃14基42門、単装18門の合計60門を両舷に配置した。

最上型のスペック

諸元最上三隈鈴谷熊野
竣工時最終
大改装
竣工時最終
大改装
竣工時最終
大改装
竣工時最終
大改装
基準排水量
英トン
8,50012,2008,50012,1008,50012,0008,50012,000
公試排水量
メートルトン
11,16914,14211,16913,88713,44013,88713,44013,887
全長m197.0198.3197.0198.3197.0198.3197.0198.3
最大幅m18.2220.5118.2220.5120.2020.2020.2020.20
馬力152,000152,000152,000152,432152,000152,432152,000152,432
速力kn37.035.037.034.7435.034.7435.034.74
備砲主砲15.5×1520.3×615.5×1520.3×1015.5×1520.3×1015.5×1520.3×10
高角砲12.7×812.7×812.7×812.7×812.7×812.7×812.7×812.7×8
発射管1212121212121212
航空機
カタパルト
水偵×3
カタパルト×2
水偵×11
カタパルト×2
水偵×3
カタパルト×2
水偵×3
カタパルト×2
水偵×3
カタパルト×2
水偵×3
カタパルト×2
水偵×3
カタパルト×2
水偵×3
カタパルト×2
沈没19.10.25
バナオン島南方
海没処分
17.6.5
ミッドウェイ島西方
航空機
19.10.24
シブヤン海
航空機
19.11.25
ルソン島西岸
航空機

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