一等甲型駆逐艦の特徴

雪風

第三次補充計画(通称マル三計画)において建造された陽炎型15隻と第四次補充計画(通称マル四計画)で建造された陽炎型4隻および夕雲型19隻を甲型と呼称し、日本海軍としては艦隊用駆逐艦の最後となった。先行して建造された吹雪型、暁型の特型駆逐艦とほぼ同じ武装で、18knで5,000海浬の航続力と36kn以上の速力を軍令部は要求した。

軍令部の要求を満たすには、機関は60,000馬力を要し、船体も2,500トンもの大型駆逐艦となってしまうので、結局航続力を優先して速力を35knに抑えて、基準排水量を2,000トンとした。航続力を高めるには燃料をより多く積むのが手っ取り早いのだが、小さな船体の駆逐艦ではたかが知れている。そこで、燃焼罐を効率の良いものに換えることとし、朝潮型や初春型に採用されていた圧力22kg/c㎡、蒸気温度300度の罐から30kg/c㎡、350度の蒸気を発生させる罐を採用した。

甲型の武装で特筆すべきものは、竣工時から61cm酸素魚雷が搭載されたことである。酸素魚雷は空気式魚雷に比べて同じ大きさでも充填される炸薬量を増やすことができた。より多く炸薬が搭載できる理由として、エンジンの燃焼に必要な空気に純酸素を用いることでボンベの容量を小さくすることができたことと、エンジンの冷却に従来は清水を魚雷内部に搭載したが、海水を冷却に使用することで清水タンクが不要になったことが魚雷内部に空間を作り出す大きな要因となった。

陽炎型には雪風(右上写真)という幸運艦がいる。フィリピン上陸作戦を皮切りに、ミッドウェイ海戦、第三次ソロモン海戦、ガダルカナル島撤収作戦、コロンバンガラ島沖海戦、レイテ沖海戦、沖縄水上特攻作戦など数々の作戦に参加し、なおかつ大きな損傷も受けずに終戦を迎えた。戦後は復員輸送船として13,000人以上の復員兵を内地へ輸送し、その後は戦時賠償艦として中華民国へ引き渡され「丹陽」という名で中華民国海軍旗艦となった。機関の老朽化により退役して練習艦となっていたが、1969年夏に暴風雨によって艦底を損傷し1971年12月31日までに解体処分となった。なお、1971年12月8日(開戦記念日)、中華民国政府より舵輪と錨のみが返還され、舵輪は江田島の旧海軍兵学校・教育参考館に、錨はその庭に展示されている。

一等甲型駆逐艦の同型艦

ネームシップ同型艦
陽炎陽炎、不知火、黒潮、親潮、早潮、夏潮、初風、雪風、天津風、時津風、浦風、磯風、浜風、谷風、野分、嵐、萩風、舞風、秋雲
夕雲夕雲、巻雲、風雲、長波、巻波、高波、大波、清波、玉波、涼波、藤波、早波、浜波、沖波、岸波、朝霜、早霜、秋霜、清霜

一等甲型駆逐艦のスペック

諸元陽炎型夕雲型
基準排水量(英トン)2,0002,077
公試排水量(メートルトン)2,5002,520
水線長(m)116.20117.00
最大幅(m)10.8010.80
出力(馬力)52,00052,000
速力(kn)35.035.0
備砲12.7cm連装×312.7cm連装×3
発射管61cm4連装×261cm4連装×2

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