信濃の特徴

信濃

信濃は大和、武蔵に引き続き第四次補充計画(通称マル四計画)で紀伊とともに建造される予定だった戦艦である。船体構造が70%ほどできあがったときに開戦したので、一時工事は中断されたが、船渠外に引っ張り出せる程度まで船体を完成し工事を中止した。ところが、その後ミッドウェイ海戦の大敗北のニュースが飛び込んできて、信濃を空母に改造することが決まった。

信濃の改造は当初から大もめにもめた。艦政本部の改造方針は、洋上の移動航空基地とし、原則として格納庫は設けず、したがって固有の攻撃機や爆撃機は搭載しない。信濃は最前線に進出し、後方の空母から発進した飛行機は信濃に着艦し燃料、弾薬、爆弾、魚雷を補給して再度攻撃に向かえるようにする。それには飛行甲板に十分な防御を施し、敵の空襲下に洋上の基地としての任務を達成する。しかし、自艦防衛のための直衛機のみは搭載し、その格納庫だけは設ける、という主旨であった。当然、この考えに航空本部や軍令部から強烈な横やりが入ったのは言うまでもない。軍令部が示した主な要求は次の通りである。

  1. 舷側水線防御は、射程距離1万mから発射される20cm砲弾に耐えうること
  2. 水平防御は、高度4,000mから投下される800kg爆弾に耐えうること
  3. 飛行甲板は、急降下爆撃による800kg爆弾に耐えうること

結局3の800kg爆弾は500kg通常爆弾の急降下爆撃に耐えられることに同意を得て、昭和17年11月に艦政本部と軍令部の折衷案で設計が始まった。搭載機は戦闘機18機、攻撃機18機、偵察機6機、補用機5機の合計47機となり、格納庫も1層しかない。しかし、他空母の艦載機の補給も行うのでガソリンの搭載量は桁外れで、454トンも搭載し、弾薬も500~800kg爆弾を54発、250kg爆弾と60kg爆弾を各216発と、とんでもない量を搭載した。

船体の防御は戦艦としての防御が施されていたので、かえって薄くした部分(中甲板の甲鉄を200mmから100mmへ)もあるくらいだ。弾火薬庫の防御甲鈑は190mmのものが既に製造されていたのでそのまま用いることにした。この部分は1トン爆弾を高度5000mから投下されても貫通しないだけの強力な防御となっていた。大和、武蔵より防御を減じた部分があるかわりに、逆に強めた部分がある。それは艦底で、米軍が投下する磁気機雷に備えて大和、武蔵では二重だったのを三重底にしている。

信濃の改装

公試運転および紫電改の離着艦試験を終えた信濃は、昭和19年11月28日、艤装工事を行うため呉に回航することになり、護衛の雪風、浜風、磯風の駆逐艦3隻に守られて横須賀を出港した。ところが、翌29日アメリカ潜水艦から4発の雷撃を受け、浸水沈没したため改装は行われていない。

信濃のスペック

諸元信濃
基準排水量(英トン)62,000
公試排水量(メートルトン)68,060
水線長(m)256.00
最大幅(m)36.30
飛行甲板(長さ×幅、m)256.0×40.0
出力(馬力)150,000
速力(kn)27.0
航続距離(kn-海浬)18-10,000
備砲12.7cm連高×8、25mm3連×35、単×40
搭載機数42+5
昇降機数2
沈没19.11.29/潮岬南南東沖/潜水艦

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