伊勢型の特徴

伊勢(航空戦艦)

伊勢型の2艦、伊勢、日向は本来扶桑型として予算が計上されていたが、予算不足で扶桑のみ先行して起工され、山城が1年遅れで建造が始まった。ここでジュットランド沖海戦が勃発し、扶桑、山城は生まれながらに二戦級戦艦となることが判明したため、伊勢と日向は設計を根本からやり直すことが決まり、新たに伊勢型として建造されることが決定した。

新設計の伊勢型が扶桑型と異なる点は次の通りである。

主砲塔の配置
扶桑型では3、4番砲塔が第2煙突を挟んで配置されたため、罐室のスペースが十分にとれなかったが、伊勢型では3、4番砲塔を背負い式にして第2煙突の後ろへ配置することにより、罐室のスペースを十分に確保することができた。一斉射撃の上部構造物への影響も薄らいだ。
主砲弾装填の改良
扶桑型の主砲弾装填位置は仰角を5度に固定しないといけなかったので、これを5度から20度の範囲でどの角度でも装填できるようにした。
甲板防御(水平防御)
扶桑型の上甲板、下甲板の防御甲鈑は合計して64mmだったのに対し、上甲板55mm、下甲板30mmの合計85mmに強化した。
水雷防御(垂直防御)
水線下の艦腹には、下甲板の防御甲鈑を舷側付近で斜め下方に屈曲させ、爆発力を逃がすようにした。また、縦隔壁の増加により水防区画を増やし、罐室の外側の燃料庫に石炭を搭載して防御壁とした。
副砲の増加
扶桑型の副砲は50口径四一式15cm砲だが、伊勢型では50口径三式14cm砲を採用した。口径の減少を補うため門数を16から20へ増加した。
速力の増加
機関出力を扶桑型に比べて5,000馬力増加し45,000馬力とした。これにより扶桑型より0.6kn速くなった。
方位盤射撃装置の採用
各国の主力艦はすでに装備していた方位盤射撃装置を建造当初から取り入れた。方位盤射撃装置は各砲塔に目標の方位角、俯仰角を電気的に伝えて同一目標へ一斉射撃を加えることができるものである。

伊勢型の改装

改扶桑型として扶桑型の弱点を補う再設計のもと建造されたはずだったが、さらなる防御の徹底や速力の増加、発展著しい航空機に対する兵装強化が臨まれるようになった。

第1期大改装

第1期の大改装は主砲の仰角を25度から30度に引き上げることから始まる。射撃装置の発達がより正確な遠距離砲撃を可能にしたためである。近代化された射撃システムを収容するために檣楼は高く大きくなり、櫓式檣楼へ変化した。

当時の戦艦、巡洋戦艦は停泊時に敵の奇襲魚雷攻撃から守るために、舷側に鉄製の水雷防御網を垂らす装置を持っていたが、湾口防御の防潜網が発達したことによって取り外された。

偵察機が搭載されることとなったが、当時はカタパルトが実用化されていなかったので、5番砲塔の上に台を設けて水偵をそこへ搭載し、デリックを使って海面に下ろす方法をとった。

航空機の発達は防御の面でも考慮されなければならなかった。8cm高角砲8門だったのを八九式40口径12.7cm連装高角砲4基に換装した。また、船体中央部の両舷側に40mm連装機銃を1基ずつ搭載した。

第2期大改装

ワシントン条約を受けて第2期の大改装が始まったが、金剛型、扶桑型、長門型にもほぼ同様の改装が施された。

主砲塔の仰角向上
第1期改装で30度に引き上げられた仰角をさらに43度へと引き上げた。これにより、3万3千mの射程が得られ長門型と肩を並べることができた。
測距儀
前檣楼の最頂部に10mの最新式測距儀を設置した。この設置に伴い支持構造物が作られたため、檣楼は一段と重厚さを増した。
水平防御の強化
機関室上の下甲板に25mmの高張力鋼2枚、弾火薬庫の上に135mmの装甲板を貼った。その他主砲塔の天蓋や前楯、基部の防御も強化された。
水中防御の強化
舷側内側に1インチの縦壁を設置し、舷側と縦壁の間を燃料の重油で満たすようにした。魚雷命中の際に爆発力を重油が受け止めてくれ威力を3割程度減ずる効果があったという。さらに、艦腹にはバルジを設置し、その中に水密鋼管をびっしり詰め込んだ。
速力の増加
速力を25knに上げるため主機を艦本式ギヤード・タービン4基に、ボイラーをロ号艦本式重油専焼罐8基に換装し機関出力を8万馬力とした。
煙突の1本化
機関部の換装に伴い、2本煙突を1本にまとめ、従来の後部煙突にの位置に設置した。
艦尾の延長
排水量の増大やバルジの設置によって艦幅が増加したので、艦尾を7.62m延長した。これにより最大速力を25.3knに引き上げることができた。
副砲の性能向上と一部撤去
仰角を20度から30度に引き上げ射程距離が1万5千mになった。荒天時に波を被って使い物にならなかった艦首部の1、2番副砲、両舷の露天甲板上にあった副砲2基を撤去した。
後楼の充実
後部砲塔の方位盤照準装置、方位測定室、対空見張所、後部電信室を収納するための構造物が構築された。
航空兵装の強化
延長された艦尾右舷にカタパルト1基が設置され、水偵3機が搭載された。
対空兵装の強化
40mm機銃を廃止して九六式25mm連装機銃10基が装備された。

航空戦艦への大改装

きっかけは日向の5番砲塔爆発事故とミッドウェー海戦の負けである。この海戦で正規空母を一気に4隻失った日本海軍は航空母艦をなんとしても調達しなければならなかった。水上機母艦や商船を改造して航空母艦に仕立てる計画を立てたが、劣速で搭載機数も30機程度ではたいした戦力になり得ない。そこで注目されたのが低性能の戦艦である扶桑型と伊勢型だった。そのなかでも日向は5番砲塔がなくなっている状態だったので、伊勢型戦艦を航空母艦に改造しようと計画が立てられた。その計画は飛行甲板長210m、幅34m、搭載機数54機という内容だったが、完成が1年半後の昭和19年に入ってしまい遅すぎることと、使用される資材が他の新造艦に影響を及ぼすということで伊勢型2隻の空母化は不可能であると判断された。当然扶桑型の空母化も同様である。

そこで考え出されたのが、艦尾の5番、6番砲塔を撤去してそこへ一段高めた飛行甲板を設置する。この飛行甲板での航空機の発着艦は不可能なので発艦はすべてカタパルトで行い、任務が終了した航空機は他の航空母艦へ着艦するというものである。航空機は22機搭載でき、うち9機は飛行甲板下の格納庫へ格納し、残りの13機は飛行甲板に露天繋留するとした。搭載する航空機は、最新鋭の艦上爆撃機「彗星」が予定された。しかし、エンジンの不調で生産が遅れたため全機彗星で揃えることができないので、半数を水上偵察機「瑞雲」を使用して水上爆撃機とすることになった。この改造に伴って対空兵装も大幅に強化された。対空機銃はすべて25mm機銃に置き換えられ、3連装が31基、単装が11基装備された。さらに、開発されたばかりの12cm30連装対空噴進砲を飛行甲板の後部両舷に3基ずつ、計6基180門も装備された。

航空戦艦として生まれ変わった伊勢型の2隻であるが、搭載機がないままフィリピン沖海戦に出撃することとなり、小沢中将率いる囮(おとり)部隊の護衛として戦闘に参加した。戦艦の強みを発揮して両艦ともほとんど損傷もなく無事に帰還する。

伊勢型のスペック

諸元伊勢日向
竣工時最終大改装竣工時最終大改装
基準排水量英トン29,33034,70029,33034,500
公試排水量メートルトン30,99839,15430,99838,584
全長m205.13212.75205.13212.75
最大幅m28.6533.0828.6533.20
馬力40,00075,00040,00075,000
速力kn23.024.723.024.5
備砲主砲36×12
副砲15×16
高角砲8×412.7×88×412.7×8
発射管6060
航空機
カタパルト
0水偵×3
カタパルト×1
0水偵×3
カタパルト×1
沈没S19.10.25
レイテ湾
海戦
S19.10.25
レイテ湾
海戦

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